琳派について詩吟の仲間で勉強会をしたのでその資料を掲載します。
大琳派展
2008年10月13日東京国立博物館平成館で「大琳派展 -継承と変奏-」開催された。
尾形光琳生誕350周年記念ともあります。そして、
- 雑誌BRUTUSでも「琳派って誰?」
- 美術手帖でも「琳派」
- BRUTUS CASAでも「琳派と民藝」
と多くの特集が発行されました。琳派はブームです。
改めて琳派とは何でしょうか。
【歴史】
- 17世紀の本阿弥光悦 俵屋宗達
- 18世紀の尾形光琳 尾形乾山
- 19世紀の酒井抱一 鈴木其一
と続く系譜です。明治以降も、そして現在、東京新国立美術館で開催されている加山又造などにつながります。
「大琳派展」の副題にもあるように「継承と変奏」とは、光琳が本阿弥光悦、俵屋宗達に私淑し、その光琳を酒井抱一が慕うという形式で、100年ごとに伝えてきたスクールです。(狩野派などの一子相伝とはことなります。)
模倣から始まります。それが一番顕著なのは「風神雷神図屏風」です。その模写によって、その時代に適合した何かを発見し変奏していきます。
そして、2004年の東京国立近代美術館では「琳派 RIMPA」展として、ウィーンで起こった装飾芸術運動のクリムトから、マティス、アンディ・ウォーホルまで論じられております。
【特徴】
その特徴としては、派手な装飾性にあります。屏風、扇子、団扇、陶芸、着物などの今で言うデザインであり、ポップアートです。結構、国宝・重文に指定されたり、デパートの芸術部や呉服部などが持ち上げたりするのでお高くとまったものと見られがちですが、その時代時代の表具師であり、デザイナーであったと思います。それ故に、日本人の美意識の本質をついているかも?(結構、日本人、派手好きです。金地、平面的な装飾)
これは見て、心地よい、おもしろいと思うかということ。
山下祐二(美術評論家?)に言わせるとパット見、パクリ、インテリアだあ~~となります。
【雑談】 美とは発見されるもの 美の壺??
「日本美術の発見者たち」という本(矢島新/山下裕二/辻惟雄 著)があります。2001年松濤美術館で開催した「眼の革命 発見された日本の美術」展が本になったものです。
それによると、
- 縄文土器が芸術として認識されたのは、岡本太郎の縄文土器論です。それまでは考古学の対象となっていましたが、芸術品としては認識されていませんでした。それを岡本太郎の眼で発見されました。
- 木喰の木彫りの仏像は、地方の至ると所でひっそりとたたずんでいました。それを芸術品として評価し、新たなる美を発見したのは、柳宗悦です。
- 円空の仏像も、美術品となったのは、昭和になってからです。そして、最近、とみに人気を集めている伊藤若冲、曽我蕭白、などを発見したのは辻惟雄です。
いずれも西欧流の美術というフィルターを持った眼では発見できないものです。それを、「眼の革命」を伴って、新たな分野を想像した人たちが居ました。美術史というのは新たな美の発見での過程です。
そして、美術展などは学芸員の見方で新たに美を問うものです。構成や出品作に、その主張があります。
【それぞれのプロフィール】
本阿弥光悦(ほんあみこうえつ) 日本初の敏腕アートディレクター
家業は刀剣の目利き・研ぎをすること。財力もあったが質素な生活 書、陶芸で才能。俵屋宗達とコラボ
俵屋宗達 元は扇屋? 謎のグラフィックデザイナー
「俵屋」は扇絵や料紙、屏風の装飾を行う「絵屋」 たらし込みとという技法を発案
風神雷神図屏風、白像図杉戸など
尾形光琳 贅沢三昧 センス最高のファッションリーダ
京都の裕福な呉服商「雁金屋」に生まれる。家業を潰し江戸の酒井家などに仕えるが、結局戻り弟乾山と陶器の絵付けでコラボ 琳派の名前の発祥人物。光琳模様、紅梅図屏風 燕子花図屏風
尾形乾山 質実剛健なプロダクトデザイナー
光琳の5歳下の弟。野々村仁清(にんせい)に学ぶ。兄にお金を都合など。
酒井抱一(ほういつ) 光琳の研究から学んだスポークマン
姫路城主の弟、37歳で出家。光琳に傾き、1815年光琳百回忌に「光琳百図」など。江戸琳派 月に秋草鶉屏風、夏秋草図屏風
鈴木其一(きいつ) 理性的かつ装飾的作風
染めもの屋の息子。酒井抱一に弟子入り。晩年には光琳や抱一の紹介本を出版し、フランスでも刊行、後のジャポニズムにつながる。 朝顔図屏風、夏秋渓流図屏風
【明治以降】
- 神坂雪佳(せっか)
- 下村観山
- 今村紫紅
- 加山又造
- (会田 誠)
などなどへ繋がっているか?
実際には観ていただくのが一番です。
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